九品寺は實義山天窓院と号し、慶長三年(1598)
元禄年中(1688〜703)に入ると、江戸幕府の治政も安定し、庶民の間に物見遊山をかねた寺社詣でが盛んになり、当時にも境内にある露仏・阿弥陀如来や霊験顕かなことで知られる
寛政年中(1789〜800)、当時境内に九品仏堂(二間四方のお堂が九個、その中に九種の印を結んだ九体の阿弥陀如来を安置)が建立され、弥陀三尊、二十五菩薩も安置され、九品寺の寺運は隆昌の一途を
文化・文政(1804〜29)の頃になると、九品寺は旗本寺として知られる一方、過去帳によると広い階層にわたる人びとが当寺を菩提寺と定めていたことがわかります。(記録によると境内総坪数千七十二坪と記載されています。)
慶応四年(1868)江戸幕府が崩壊、全国の各寺院は一様に荒廃への道を辿りますが、記録によれば九品寺はわずか十年後にはみごとに再興されていることがわかります。 大正十二年(1923)関東大震災で堂宇全焼、二年後には堂宇再建。昭和二十年大東亜戦争により堂宇焼失。二年後仮本堂を建立。戦後三十八年目の昭和五十九年(1984)当山第二十二世住職道誉正順上人により現在の本堂が建立され九品寺が復興、現在に至っております。