九品寺の墓地

九品寺墓地は間部家歴代を祀る内墓地と、一般の方々を祀る外墓地とに分かれていました。
大正十二年(1923)に起った関東大震災の後、当時の東京市は罹災地の復興に合わせて、町の区劃整理に着手しました。
一方多磨に公営の霊園建設を計画し、市内の罹災した墓地に対し、復興は公営墓地に移すよう強く要請しました。市街地に墓地が広い区画を占有することは都市計画上支障ありとして、是非多磨への移転をすすめ、さもなくば納骨堂的特設墓地に縮小して区画整理に協力するよう求めました。
当時の住職行誉順導上人はお檀家と協議の上、時代の要請止むなしと理解し、全檀家の合意を得て現在の東京都営多磨霊園第四区第一種廿一側〜の地にまとめて移転しました。墓地は離れましたが、戦災にはあうことなく昭和初期の姿で、広さ環境にも余裕をもって現存していることは幸いと申せましょう。

永代供養墓 やすらぎ

新しさのなかにまごころが息づく 「新しいやすらぎのかたち」がここにあります
人の数だけ生き方があるように
それぞれの人生にさまざまな満足のかたちが・・・・・
従来の固定観念にとらわれない 柔軟な発想から生まれた「永代供養墓やすらぎ」

戦後わが国の特色であった大家族の和合が破壊され、そして少子化の現象を見る時、継承者問題等で将来、家族単位の墓域の護持も難しくなるのではと、心配です。皆様が求めている近くてお安いお墓は皆無に等しく霊園墓地は空きが無く抽選倍率の高さは驚異的です。
当山では、多磨霊園内の九品寺墓域にこころを同じくする人達が一緒にやすらぐ霊域を設けました。後世、我が家の墓地の護持をあやぶまれる方々に役立たせていただければと思います。

こんな方々に是非おすすめします

お子さまがいらっしゃらない方。お子さまが女の子ばかりという方。独身の方。お子さまが遠方にいる方。お墓が遠くにある方。すでにお墓をお持ちでも将来無縁墓になることを懸念される方など、墓地継承者のいない方、不安な方々の悩みを解消いたします。
また、何らかの事情で家のお墓に入れない(あるいは入りたくない)という方。子供に面倒をかけずに自立したい方。墓地に余りお金をかけたくないという方。倶会一処、共生帰一という仏教の教えに共鳴される方にもおすすめいたします。

露仏・阿弥陀如来(九品寺大仏)

明暦3年(1657)の大火で亡くなった人びとの菩提を弔うために、江戸市民から浄財を募って、万治3年(1660)に造立された唐銅(からがね)の露仏。総高387cm。江戸時代に造られた露仏としては、東京に現存する最も古い仏さまです。

沓履(くつばき)地蔵尊

沓を履いた珍しいお地蔵さまは、何処へでも出向いて、苦しんでいる人にその苦しみを代わるという代受苦の慈悲のこころで、毎日六道を遊化し、苦難の衆生を救って下さる。履物の町花川戸のシンボルとしても因縁浅からぬ思いがします。

ほほえみのお地蔵さま

にっこりとほほえむまなざしと口もとは、知らず知らずの内に拝む人の顔を笑顔にしてくれます。

念ずれば花ひらくの碑

人はどう生きるべきかを、一生の命題として追及し続けた仏教詩人坂村真民先生が、敬愛する母親が自己激励のことばとして念誦し、自らも詩集の表題として愛した「念ずれば花ひらく」の詩碑。真民先生自ら揮毫した全国35番目の碑です。